CMTのmix CD
[OBSERVACIÓN ASTRONÓMICA]をはじめて聴いてとき、
催眠療法的にある感覚とそのときいた場所を思い出した。
その感覚は自分の基礎を形成する上でとても重要なものだったと今でも思う。
その土地は、かなりへんぴなところだったが、
幼少の頃の3年余りをそこで過ごした。
たくさんの自然や生き物、そこでめぐる季節を体験した。
あれからいろいろな土地を移り住み
何の因果か今またとても近くに住んでいる。
このあたりには、何かと自分と縁があるのかもしれない。
人との縁もいろいろともたらされる。
でもよく考えると、この土地には相当思い入れがあるようで
中3のときと、27、8のときに2回訪れている。
前回行ったときは既に、子どもの頃に感じていた
ホーリーなかんじ
は根こそぎなくなっていた。
だから、今そこに行ってあのときの感覚を同じ様に体験しようとは思っていなくて
はじめて子どもと旦那を連れて行ってみたいと思った。
もちろん今回もホーリーなかんじはもうないので
単にちょっとさびれた怖い場所的にしか今回も映らなかったのだけど。
ただもう一度行って確かめたいところが一つだけあった。
旧自宅(今はもうない)のウラにあった山の中にあった
栗林の間にぽかんとあいた暖かい日だまりのスポット。
私の記憶にあるこの土地の一番コアな部分。
その山の入り口に祀ってあった神様の鳥居も
根こそぎなくなっていた恐怖。
鳥居の立っていたとこに穴だけが二つ残っていた。
私たちが住んでいた頃、どこからか来た神主さんに
地鎮祭のようなことをしてもらっていた光景が記憶にある。
そのころは、子どももたくさんいて、人が集い、自分たちが住むところを
良くしようとたくさんの大人が動いていて、
お祭りの御神輿やハッピも作ってくれたし、
空き地には遊具を取り付けてくれたり。キラキラしていた。
それが、前回来た時はすでにそこが荒れていた記憶がある。
誰も世話しなくなってしまったんだろう。
肝心のスポットは、入り口がうっそうと生い茂っていて
別の通路も、立ち入り禁止になってしまっていた。
入れず・・・。山自体も、半分は削られているようだった(悲)。
時間の経過と変化だけを感じながら
よく遊んだ広場や道の脇に立っている大きなもみの木?
あれだけは私を覚えているだろうと思った。
オチがないプラリ旅もたまにはいいかな。
行く途中の電車の車内での切符の切り方とか半端なくレトロだったし。
山への入り口を探しているときにいた
ここはどこの熱帯雨林かと思うほどの
まるまる太った巨大オオカマキリがいた衝撃!!とか。
その巨大さ、20センチ。胴体幅、3センチ。
子どもはそれを非常に捕獲したがったが
人の敷地内なのでやめさせた。
ただ幼少の頃の記憶とはすごくて。
子どもの足には少しだけ遠い当時通っていた小学校までの道のり。
1年しか通わなかったのに、しっかり覚えてて
自分の記憶力に拍手した!

物事は、時が経てばうつろう。
それでも変わらずずっと残るものも、ある。
今回はおセンチな気分にはならなかった。